約9分で読めます
2023年12月12日(火)
三浦さんとの出会いは、藤沢のコワーキングスペース「NEKTON」でした。
・「湘南経済新聞」の媒体運営
・藤沢の地域情報誌「フジマニ」
・コワーキングスペース「NEKTON」の運営
など、様々な事業を展開してきた株式会社フジマニパブリッシング、代表の三浦さん。
藤沢市辻堂元町生まれで、広告代理店として数々のアイデア、イベントを考案する仕掛け人です。
第一部はNEKTONについて、第二部は三浦さんのストーリーとこれからについて伺いました。
2015年にオープンした藤沢市内初の常設コワーキングスペースです。
現在は、
・藤沢駅南口「NEKTON FUJISAWA」
・北口「NEKTON KITAGUCHI」
・辻堂駅「NEKTON TSUJIDO」
の3店舗を運営しています。
(「NEKTON SHONAN」は12/27で閉店予定)
大きく2つあります。
1つは店舗によって、コンセプトを分けていることです。
「NEKTON FUJISAWA」は「シェアするリビングルーム」
木をベースに暖色系の色を使った賑やかなコワーキングです。
カフェも併設していて、雑談も飛び交っています。
「NEKTON KITAGUSHI」は真逆で「時間の質を上げる集中空間」。
ガラス、金属、石などをベースに寒色系の色を使ったコワーキングです。
基本的に会話はNGで、静かな空間で作業したい方向けの店舗です。
その時の気分に合わせて、自分に合った場所を選ぶことができます。
そして2つ目は、「NEKTON FUJISAWA」でカフェを併設しているところです。
現在はこちらで用意してるカレーなど、軽食を提供しています。
飲食店で起業したい人もコワーキングに来ると面白いと思ったからです。
経緯としてはフリーペーパーの仕事をしていたこともあり、飲食店で働くスタッフの方と知り合うことが多かったんです。
彼らは「いつか自分のお店を開きたい」というものの、中々チャレンジ出来ていない人が多いなと感じていました。
話を聞くと「自分のレシピを試しで食べてもらえる機会があるといい」という話をしていて。
そういう人たちが腕試しできる場所があると面白いんじゃないかということでキッチンを併設しました。
なので昔はチャレンジキッチンという言い方をしていて、その日によってお好み焼き屋さん、ラーメン屋さんなどなど、日替わりシェフがいたんですよ。
こちらはコロナの影響により一時的に休止していますが、また再開したいですね。
昔、僕自身が湘南藤沢インキュベーションセンターというシェアオフィスに入居していたんです。
四畳半ぐらいのめちゃめちゃ狭いところに、当時男3人でフリーペーパーの編集していて^^
これではちょっと息が詰まるなということで、近くのカフェでよく作業していました。
その頃はまだ電源がある席も4席ぐらいしかなくて、朝イチにみんなで取り合うみたいな(笑)
こんなバトルになるんだったら需要があるんだから、そういう場所があるといいのになとはずっと思ってたんですよね。
そしてシェアオフィスの5年間の契約終了をきっかけに、「仕事ができる場所を自分で作ってしまおう」と思い、NEKTON立ち上げに至ります。
改装前
オープン後初期のNEKTON FUJISAWA
「人に出会うきっかけが出来た」というのは大きいですね。
自宅や自社オフィスで仕事をしていても起きない「人との出会い」がコワーキングではバンバン起きるんですよ。
栗原さんと出会ったのもそうですけど、誰かから「ちょっとこの人紹介したんですけど」みたいなことが、ほぼ毎日レベルで起きていて(笑)
ここに座って仕事をしているだけで、色々なきっかけが生まれるんですよ。
この前遭遇したのは、数人で雑談中に「こういうビジネスが出来たら面白いよね」「でもこれを実現するにはあの人にアプローチする必要があるけど、ツテがないな」という話をしていたら、別のところにいた女性の人が急に話に入ってきて、「実は私その人と仲良いんです、紹介しますよ」みたいな感じでその場で話が進むみたいな(笑)
単に売り上げの数字だけでは表しきれない価値があるなと感じています。
ーーそんなNEKTONを運営している三浦さんですが、ここからは他の事業も含めて歴史に迫りたいです。
高校を卒業してからはコックになるんですよ。
ただ、本当は物書きになりたかったんです。
自分の感動の根っこにはストーリー展開や台詞回しにあるなと感じていました。
元々本やゲームシナリオも好きでした。
村上龍の小説や、リンダキューブの台詞回しは特に刺さるものがありましたね。
ただ、それで生活していくのは難しいと感じ、2番目に好きだった料理の道に進みました。
藤沢オーパのイタリアンレストランで鬼みたいなシェフにしごかれながら調理をやっていました(笑)
ーーまだ広告への道が想像できないですね(笑)その後はどうなるんでしょう?
コックの仕事をしながらも、何かもっと打ち込めるものを探していましたね。
バイクの免許をとったり、格闘技習ってみたり、旅行行ってみたり、色々なことに挑戦しました。
その中でも、唯一熱心に取り組んだのが、定期購読していた広告批評雑誌の面白いところに付箋を貼ることだったんです。
どうやら自分が興味を持って続けられるのはこれらしい。
ということで、広告学校に通い始めます。
当時その学校では最年少。すでに広告代理店で働いている社会人の人達が学ぶような学校でした。
目立たないと意味がないと思い、最前列に座って、質問には必ず手を挙げて発言するというマイルールで意欲的に学習して行きました。
成績も良くて、広告の面白さにどんどんのめり込んでいきましたね。
そこから、広告代理店への就職も考え始め先輩に相談したところ、一言で「無理だね」と(笑)
「え!何でですか?」と聞くと、「残念だけど、高卒は広告業界だとやっていけない」と言われてしまったんです。
「大学に小さい制作会社に入って10年とか下積みを積んでいかないと難しいよ」ということでどちらもきついなと感じ、じゃあ地元で広告の仕事を自分でしようと決意し、フリーペーパーを始めるという流れでした。
当時は古着屋さんが流行っていたんですが、どうやら横浜や原宿にお客さんが流れてしまい、藤沢の古着屋さんはうまくいっていないと聞きました。
ならば「街の情報を仕入れながら、古着屋さんの広告を載せていくのはどうだろう」ということで営業を開始し、2003年4月にスタートしました。
2ヶ月に一回出すと決めて続けていきました。
当時はまだコックの仕事と並行してやっていて、その時の給料を印刷代に回して、なんとか進めていくという流れでしたね。
フジマニ創刊号(2003年4月)
2007年くらいから古着ブームが終わるんですよ。
古着屋さんを撤退して、フジマニ自体は発行を続けなきゃいけないのに広告主がほぼ全ていなくなっちゃったときは、まあまあのピンチでしたよ^^;
家賃を払えるか払えないか、という状態でした。
2008年2月に発行して、次が2009年の5月。
その間の約1年間は立て直しの時期でした。
もう本当どうしようもなかったので、前のバイト先(料理)に連絡して戻って働いてたりしました。
実家に戻って、事務所引き払って、当時付き合っていた彼女とも別れ(笑)
何一つ手元に残らない状態。
A5サイズからB5サイズに変えたりなど、相当苦労していた時期ですね。
2009年5月、立て直した最初の刊
そこから試行錯誤を繰り返して黒字に持ち直していきました。
また、フリーペーパーを起点に出来た繋がりから、HPやデザインの作成、イベントの運営など広告企画のビジネスの幅を広げて行き、現在に至ります。
「フジマニ」はコロナ禍の影響で現在は休刊中ですが、また発行できるといいなと思います。
2020年12月号を最後に現在休刊中
この街で色々な事を企画し続けてきた経験を活かし、今後は自分自身で発想したサービスを創っていきたいですね。
そのためにテクノロジーが必要だと思い、プログラミングを学んだりもしました。
既に何十個とアイデアがあるので、この街発で世界に広がっていくようなサービスづくりに挑戦したいと思います。
温めているアイデアを共有してくれました
北口のNEKTONをリスキリングをテーマにした「学びの場」としてリニューアルしようと思っています。
というのも自分自身、リスキリングで半年間プログラミングを学んだ経験があるんですよ。
やはり新しいことを学ぶことは自分の人生の新しい扉が開くきっかけになると感じました。
また、その時に「学べる環境」「教えてくれる先生」「学び合う仲間」が大事だなと感じたので、そういった「学びの場」を提供して行きたいなと思っています。
ーー生粋の藤沢人な三浦さんですが、
藤沢は「なんでもあり」な街だと感じています。
例えば、古着ビジネスで大きな家を建てたおじさんがいたんですよ。
横須賀の米軍基地からちょっと汚れているというのを理由に低価格で買い取って高値で売って大儲けしたそうです。
昔からそのようなヒッピームーブメントがあって、「コツコツやるのが美徳」ではなく一気にワープするような「人生の裏技」を実践してるおじさん達がたくさんいて、そこから自分自身も学んだ感じがあるんです。
そういう形で「なんでもあり」のこの街を面白くしていって欲しいし、そして面白がってくれるといいなと思います。
何かあれば三浦もNEKTONにいますので、ぜひ遊びに来てください!
試行錯誤と実行を繰り返すアイデアマン。
何一つ手元に残らなくても、諦めずに「やり抜く力」。
「藤沢といえば三浦さん」という人もいるほどのポジションに上り詰めた歴史からは色々と学ぶものがありました。
Locomoの今後に関するアドバイスもいただきました。
地元メディアの大先輩、これからもお世話になります^^