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2026年9月1日(火)

「あの頃、みんなが食べていた給食パン」の会社。創業100年、ロワール光月堂(長後製パン)三代目・齋藤伸一さんがパンに込める地域への愛

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湘南で育った皆さん、小学生の頃、給食の時間にワクワクしながら食べた「コッペパン」や「あげぱん」を覚えていますか?筆者はあげぱんが出る日は、いつもより給食が楽しみでした。
実は、藤沢市全域をはじめ、鎌倉、茅ヶ崎、横浜など、地域の小中学校(計82校・毎年約5万人!)の給食パンを今も変わらずに作り続けているのが、藤沢市長後にあるパン屋さん「ロワール光月堂(長後製パン)」なのです。

2025年に創業100周年の節目を迎えた、長後製パン。 
今回は、三代目社長である齋藤伸一さんへのインタビューを通して、私たちが知らなかった給食パンの舞台裏、そして「大好きな藤沢の街と全ての子どもたちのために」と紡がれる、これからの未来に向けた温かい想いに迫ります!

関東大震災から始まった、長後製パンの物語


長後製パンの始まりは、今から100年以上前にさかのぼります。
初代・齋藤光晴氏が横浜で働いていたときに関東大震災に遭遇。「これからの日本は、何があっても絶対に食べ物が必要になる。自分の手で何かを作ろう」と一念発起し、実家に近い長後の地で商売を始めました。最初は瓦煎餅を焼きながらコツコツと資金を貯め、和菓子問屋を経て、やがて本格的なパン作りへと軸足を移していきます。
パンの需要が大きく伸びたのは戦時中、米不足の非常食としてでした。そして終戦後、アメリカの方針で子どもたちの栄養改善のために小麦が送られてきたことをきっかけに、学校給食パンの歴史が始まります。

光月堂菓子舗(昭和12~13年撮影):オート三輪と映る従業員と2代目齋藤善夫氏(右から2番目の麦わら帽子を被った子)


長後製パンが給食に関わり始めたのは昭和24年ごろ。長後にいすゞ自動車の工場ができ、人口が急増した時期と重なります。当時の小学校はひと学校に1000人近い児童がいて、今のコッペパンよりも大きな、草履サイズのパンが配られていたそうです。
しかし、昭和50年代以降、米飯給食の導入など、時代とともに状況は大きく変化していきます。

「輸入小麦だけでいいのか」——藤沢で小麦を育てる理由


転機は、齋藤さんが大学卒業後に家業を継ぐと決めた頃。
給食で使う食材は国産・地場のものが推奨される一方で、自分たちが作るパンの原料はすべて輸入小麦だったことに違和感を覚えたといいます。

「この先、戦争や情勢の変化でパンの原料が手に入らなくなったら供給できなくなる。地元の農家も高齢化している。身近な食の安全を、自分たちの足元から見つめ直さなければ」


そうした危機感から、地元の農家に声をかけ、休耕地を活用させてもらいながら小麦栽培に協力してもらうようになりました。

地域住民10名とお茶を飲みながら一緒に麦踏!


2010年ごろ、つくばの農業試験所が開発した温暖地向き品種「ユメシホウ」の種を買い付けたのが本格的なスタート。約10年間栽培を続けた後、現在は神奈川県の奨励品種「ユメカオリ」に切り替え、今年で栽培開始から15年目を迎えました。
地味で目立たない小麦畑。
最初は地域の人から「藤沢で小麦を作って何になるの」と否定的な声もあったそうですが、2021年ごろからお茶を飲みながらの麦踏みやスワッグ作りといったイベントを始めたことで、少しずつ地域の人に関心を持ってもらえるようになっていきました。

筆者が麦踏と収穫をした後、製粉された湘南藤沢小麦


小学生と一緒に、種まきからパン作りまで


2022年からは、栄養士とのつながりをきっかけに、地元の小学生が小麦の栽培からパン作りまでを体験するプログラムも始まりました。富士見台小学校や長後小学校では、種まき・収穫・パン作りを2年間にわたって実施。給食室で焼いたパンを、子どもたちみんなで一緒に食べる取り組みも行われています。

長後の圃場にて、地元小学生が小麦の種を撒く様子


学校という場で活動するのは簡単ではなく、調理場への制限や、子どもが作ったものを食べさせることへの責任など、学校ごとに対応はさまざま。それでも、藤沢や茅ヶ崎の小学校で「給食パンができるまで」を伝える出前授業も続けてきました。

長後小学校での授業の様子


「最近は『安心なものを地元で作ってもらえるのはいいことだね』と言ってくれるご家族がすごく増えた」と齋藤さんは振り返ります。
ちなみに、地域によって人気メニューは少しずつ異なっており、藤沢エリアでは「あげぱん」、鎌倉エリアでは「黒糖パン」、横浜エリアの中学校では「はちみつパン」が特に人気なのだそうです。

地元小学校3年生の小麦種まき体験


職人の技で解決!全商品の8割に「湘南藤沢小麦」を


現在、月間で使う小麦粉は給食用で約10トン。そのうち湘南藤沢小麦が占める割合は、実は全体の5〜3%程度だといいます。小さな畑で栽培しているため収穫量にばらつきがあり、全量をそのまま同じ製品に使うのは難しいのが実情でした。
そこで齋藤さんが8年がかりで確立したのが、湘南藤沢小麦を使った「醗酵種(天然酵母)」を全商品に展開する製法です。
これにより、現在は商品の約8割に湘南藤沢小麦由来の風味が活かされています。給食には、藤沢の「地産デー」などの機会に直接粉として使用し、子どもたちに届けられています。

湘南藤沢小麦使用のパン


利益のためではなく、「伝えていかなきゃいけないこと」だから


小麦の栽培や学校での食育活動は、直接的な利益にはつながりにくいもの。それでも続ける理由を尋ねると、齋藤さんは「見返りを考えてやっているわけではない」と答えます。
「自分が思ったことは、年をとっても言わなきゃいけないし、やらなきゃいけない。共感してくれる人がいるから、声がかかって、話が広がっていく。それが自分のためにもなっているんだよね」
そこには、商店街の理事長や神奈川県パン組合連合会の会長といった立場を通じて見えてきた、地域への危機感もあります。「この街が豊かになっていくために、今この歳になって頑張らなきゃいけない」という熱い思いが、活動の根底にあるのです。

風になびく湘南藤沢小麦と幟


これからの展望——会社から、地域・業界全体の「共生」へ


パン屋という仕事は手仕事ゆえに生産性を上げにくく、かといって機械化すれば大手との差別化ができなくなる——そんなジレンマを抱えながらも、齋藤さんが見据えるのは「価格競争ではなく、業界全体で連携してレベルを上げていく」という方向性です。新工場を構えた息子さん(四代目)の世代も、仲間のパン屋同士で連携し、共に環境を良くしていく仕組みづくりに関心を寄せているといいます。
一方、小麦栽培や食育といった地域活動は、会社という枠組みを超えて組合や別の組織に広げていくことで、より多くの協力者を巻き込んでいきたいと考えているそうです。

「藤沢だけでなくて、長後っていう場所も広く認知されるくらい頑張りたい」


そう語る齋藤さんの言葉には、一企業の枠を超えて、地域そのものを育てていきたいという温かい思いがにじんでいました。


さいごに


取材を通して印象的だったのは、「儲けになるかと言われたらそうでもないかもしれない」と笑いながらも、長後製パンが100年近く続けてきたパンづくりと、地域への眼差しが少しもぶれていないことでした。
私たちが子どもの頃、何気なく食べていたあの給食パン。その背景には、こんなにも温かく、子供たちの健康や未来を見据えた大人のバトンが存在していました。
小麦という作物を通じて、食べ物の価値や作り手の思いを次の世代に伝えていく——。派手さはなくとも、地道に積み重ねられてきたその姿勢こそが、長後という街の、そして湘南の個性をかたちづくっているのだと感じました。
皆さんもぜひ、定期的に種蒔きや麦踏、収穫作業、また親子パン教室なども開催されていますので、藤沢の土地で育つ小麦、街を愛するパンの風味を感じてみてください♪
取材にご協力いただいた齋藤さん、ありがとうございました!

この記事を書いた人
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    木下 悠

    鵠沼出身の若者視点で、この湘南地域をインタビューしていきます!
    海や江ノ島だけではない、湘南の日常の魅力をお伝えします!

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